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徳島県24箇所のご案内

(1)霊山寺 (2)極楽寺 (3)金泉寺 (4)大日寺 
(5)地蔵寺 (6)安楽寺 (7)十楽寺 (8)熊谷寺 
(9)法輪寺 (10)切幡寺 (11)藤井寺 (12)焼山寺
(13)大日寺 (14)常楽寺 (15)国分寺 (16)観音寺 
(17)井戸寺 (18)恩山寺 (19)立江寺 (20)鶴林寺 
(21)太龍寺 (22)平等寺 (23)薬王寺 (66)雲辺寺
   
   

霊山寺(徳島県鳴門)

 815年、空海は人間の持つ八十八の煩悩をなくそうと四国霊場を開く願いをたてる為に訪れたとされる。
本尊は釈迦如来で、天竺(インド)の霊山を日本に移すという意味から竺和山一乗院霊山寺」と名づけられた。
巡礼者が巡拝を始める前に満願成就を祈る”発願の寺”一番さんなどいわれ親しまれている。

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極楽寺(徳島県鳴門)

 弘法大師が815年(弘仁6年)、21日間の修行を行った後、札所に指定されたとされる。
難産の女性が祈願して子供を授かったという言い伝えが残る。
本尊は阿弥陀如来。
薬師堂の前には、弘法大師のお手植えとされる樹齢1200年の長命杉(高さ30メートルがそびえる)。
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金泉寺(徳島県板野)

 当時は「金光明寺」と呼ばれていたが、弘法大師が寺を訪れた時、水の湧き出る場所を言い当てたことから「金泉寺」と名を変えた。
本尊は釈迦如来。
本堂の前には寿永4年(1185年)、源の義経が平家討伐の戦勝祈願に訪れた際、弁慶が力試しに持ち上げたと言われている「弁慶の力石」がある。
また、水面に自分の顔が映れば長生きできると言われている「黄金の井戸」もある。
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大日寺(徳島県板野)

 弘法大師がこの地で大日如来を感得したことから「大日寺」と名づけられた。
三方を山に囲まれ、ひっそりとたたずむ。
山門は鐘楼を兼ねており、山の緑とは対照的な朱の鮮やかさが引き立つ。
土堀は囲まれた参道を歩き、山門を通り抜けると、正面に本堂、右手に大師堂があり、本堂と大師堂は回廊でつながっている。
回廊には、33体の観音像が安置されている。
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地蔵寺(徳島県板野)

 821年(弘仁12)に嵯峨天皇(在位809−23)の勅願で弘法大師が開基。
紀伊の国の霊木を運び、弘法大師が自ら勝軍地蔵尊を刻んで本尊とした。
仁王門をくぐると、右手に樹齢800年と言われる大イチョウ。
太い幹の所々に祈願の小銭が挟まれている。
右に大師堂、左に本堂が立つ。
本堂の裏道を通って同寺の北隣に出ると、羅漢堂がある。
等身大で極彩色の五百羅漢像が様々な表情で立ち並び、この中には縁深い故人に似た人が必ずいると言われている。

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安楽寺(徳島県上坂)

 かつて近くに万病に効く温泉が沸き出ていたとされ、815年(弘仁6)、空海が訪れた際に薬師如来と深い因縁があると直感、温泉山安楽寺と号して同薬師如来を本尊に開基したいわれている。
 境内は広く、赤白緑の色鮮やかな鐘楼門をくぐると正面にコンクリート造りの大きな本堂、左手に弁財天池と多宝塔がある。
右手には茅葺(かやぶき)屋根の宿坊があり、遍路客にも人気が高い。
同寺は江戸時代に困った人を泊めて保護するよう藩から特別に指定されてた寺(駅路寺)で、その名残とされる。
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十楽寺(徳島県土成)

 弘法大師が、人間の持つ病や死など8つの苦しみから逃れ、極楽浄土の輝く10の楽しみを得られ名づけた。
本堂には、大師が感得して彫ったとされる阿弥陀如来像が本尊としてまつられている。
戦国時代には焼き討ちに遭い、建立時は阿波の国の北方(吉野川北岸)で最大規模を誇った伽藍(がらん)は約3キロ南に移転、江戸時代以降も増改築をくりかえした。
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熊谷寺(徳島県土成)

 弘法大師が817年(弘仁8)、この地で修行中に紀州熊野権現のお告げがあり、開いたといわれる。
本尊は千手観音菩薩。
2体の仁王像が立つ山門(高さ13.2メートル)、大師堂に安置されている弘法大師像は、ともに県指定有形文化財。四国霊場の中でも山門は最大、多宝塔は最大かつ最古といわれている。
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法輪寺(徳島県土成)

 空海が815年(弘仁6)に現在の場所から北に約3キロの所に建立したが、16世紀後半に長曽我部氏の兵火に遭い焼失。
天保年間(1644−48)に再建され、正覚山法輪寺と改められた。
広々とした田んぼに囲まれてしっそりと立つ姿から「田中の法輪さん」と親しまれている。
本尊は四国霊場88箇所で唯一横に寝ている涅槃釈迦如来(ねはんしゃかにょらい)で、空海が彫ったとされる。
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切幡寺(徳島県市場)

 機織りの女性宅に立ち寄った弘法大師が、旅の衣を繕うため布を請うたところ、女性が機織り途中の布を惜しげもなく切って差し出したことから名づけられたとされる。
女性は得度し、即身成仏して千手千眼観音菩薩(ぼさつ)になったといい、本尊としてまつられている。
境内の大塔は、徳川秀忠が1616年(元和2年)、大阪・堺の住吉大社神宮寺に寄進したもので、明治時代に当寺に移築された。
国重要文化財に指定されており、現在、平成の大改修中。
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藤井寺(徳島県鴨島)

弘法大師が厄難を取り除こうと刻んだ薬師如来像を本尊として安置。
江戸時代、2度の火災に見舞われながら本尊だけは被害に遭わなかったことから「厄よけのお薬さん」として厚く信仰されている。
弘法大師が金剛不壊(永遠不滅の意)の護摩壇を築いて修行し、その後、山門脇に5色の藤を植えたと伝わることから金剛山藤井寺と名づけられた。
春には棚からぶら下がる藤の花が咲き誇り、お遍路さんの目を楽しませる。
四国88箇所では珍しい臨済宗の寺。
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焼山寺(徳島県神山)

弘仁6年(815年)、弘法大師が虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)を本尊として開基。
大雨や台風などの災害を引き起こして人々を困らせていた大蛇を、大師が法力で岩つくに封じ込めたという伝説が残る。
大師の行く手を阻もうと、大蛇が山一面に火を放ったことから「焼山」の名がついた。
三面大黒天堂には、招福除災を願って大師が自ら彫ったとされている像が安置されている。

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大日寺(徳島県徳島)

弘仁6年(815年)、弘法大師が境内北側の大師の森で修行していtら際、大日如来が現れ、お告げがあり、大日如来像を刻んで、その像を本尊としてお堂を建てたと言われる。
別名、一宮寺とも言われ、道路をはさんで一宮神社が建っている。 もともとは一つだったが、明治元年の1868年に神仏分離令で分離し、十一面観音を新たに本尊とした。

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常楽寺(徳島県徳島)

弘仁6年(815年)、弘法大師が開基。四国霊場の中で唯一、弥勒菩薩を本尊として安置している。
自然の岩盤の起伏を利用し石段は「阿波の青石」と呼ばれる岩で出来ている。イチイの大木「あららぎの霊木」は、弘法大師が自らさし木をしたと言われ、糖尿病などに効果があるとされている。木のまたにまつられた小さな石仏「あららぎ大師」が有名。

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国分寺(徳島県徳島)

天平13年(714年)、聖武天皇の詔勅で各国に建立された国分寺の一つ。本尊は行基が彫り上げたと伝えられる薬師如来。
現在は本堂、大師堂、鐘楼のほか、鐘楼の南に七重塔の心礎石がある。建設当時は講堂、南大門などの大伽藍(がらん)が建設されたとされる。1978年から3年間にわたって行われた発掘調査では、約200メートル四方の」寺域が確認された。
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観音寺(徳島県徳島)

714年、聖武天皇ろく勅願の道場として建てられ、816年、弘法大師が等身大の千手観音音菩薩(ぼさつ)像を刻んで本尊とし、両脇に不動明王と毘沙門天(びしゃもんてん)を置いて霊場とした。天正年間(1573−92年)に兵火で焼かれたが、1659年に再建。古い民家や商店が立ち並ぶ中にあり、道に面した門をくぐるとすぐに本堂が迫る。

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井戸寺(徳島県徳島)

天武天皇の勅願道場として673年、「妙照寺」と名付けて建立。815年、42歳だった弘法大師が修行で訪れた際、濁水に困る地元民を哀れみ、自らのつえで一夜にして清水のわき水が出る井戸を堀り、以後、井戸寺と呼ばれるようになったと言い伝えられている。
日原大師堂にある井戸は、上からのぞいて顔が水面に映れば長寿、映らなければ不幸に見舞われるという言い伝えもある。
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恩山寺(徳島県小松島)

聖武天皇(在位724−49)の勅命により、行基が薬師如来を本尊として開基。「大日山密厳寺」と名付けられ、当初女人禁制の寺だった。弘法大師が滞在中、母の玉依御前が寺を訪ねてきたことから、大師が女人解禁を祈念し「母養山恩山寺」と山号、寺号を改めたとされる。山門のそばには、母の来山を記念して植えられた「びらん樹」(バクチノキの異称、高さ約18メートル)がそびえる。
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立江寺(徳島県小松島)

「立江の地蔵さん」で知られる。奈良時代、行基が皇后の安産を祈念して高さ約6センチの金の地蔵菩薩を安置、平安時代初期に訪れた弘法大師が高さ1.8メートルの地蔵菩薩を刻んでこの金の像の体内に納め、本尊としたと伝わる。
昔から四国の関所と言われ、「邪心あるものは進めない」とされる。
江戸時代、石見(現島根県)の女が夫を殺し、密通相手と遍路となってこの寺を訪れたところ、髪が鉦(かね)の緒に絡みついてしまった。
女が罪のすべてをざんげすると、髪は肉もろともはぎとられたが命は助かった。
二人は改心して出家し、以後地蔵を拝んだという。
この「肉付鉦の緒」は大師堂横の黒髪堂に納められている。
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鶴林寺(徳島県勝浦)

本尊は地蔵菩薩(ぼさつ)。
延暦17年(798年)、桓武天皇の勅願により弘法大師が開基。
修行中の弘法大師が、雌雄2羽の白鶴(はくつる)が地蔵菩薩を抱いてこの地に降臨したのを見つけたという伝説が名の由来。
山門の仁王像は運慶作とされる。
標高500メートルにあり「一に焼山(焼山寺)、二にお鶴(鶴林寺) ……」といわれる難所。

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太龍寺(徳島県阿南)

延暦17年(798年)に桓武天皇勅願で開基。
弘法大師が25歳の時に刻んだとされる虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)像が本尊。
太龍寺山(618メートル)の山頂近くにあり、焼山寺、鶴林寺共に「阿波の三難所」と言われていたが、1992年に山頂までのロープウェーが完成した。
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平等寺(徳島県阿南)

792年(延暦11年)、弘法大師がこの地を訪れると、空に5色の霊雲がたなびき、薬師如来の姿が現れたため、像を刻んで本尊としたといわれる。
弘法大師が祈とうに使う水を求め井戸を掘ると、乳白色の霊水が沸き出たとされる。
どんな日照りも枯れることはなく、万病に効くと「弘法の霊水」として伝わってる。
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薬王寺(徳島県日和佐)

815年(弘仁6年)、弘法大師が自ら厄よけ薬師如来を刻んで本尊として開いた。
本堂に続く石段は「厄坂」と呼ばれ、最初の33段が女坂、次の42段が男坂。
一段ごとに「厄銭」を置いてお参りをする。
本堂の右手の高台には、鮮やかな朱と白壁に彩られた瑜祇塔(ゆぎとう)が立つ。
本堂から瑜祇塔に続く石段も61段の遍歴の坂になっていて、「厄よけ寺」としても多くの参拝者が訪れる。
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雲辺寺(徳島県池田)

789年(延暦8)、16歳の弘法大師が雲辺寺山に登った時、霊力を感じてお堂を建てたと言われる。
後に嵯峨天皇の依頼で千手観世音菩薩を刻み、本尊とした。
88箇所の中で最も高いところにある札所。
かつては学問の道場としても栄え、「四国高野」と呼ばれた。
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